東北の温泉と渓流 阿部武◎釣り場とつり方 1
東北の温泉と渓流 阿部武◎釣り場とつり方 1
昭和42年初版発刊、昭和51年改訂再初版、つり人社。東北の渓流と釣り場近くの温泉を紹介したガイド。執筆者、故・阿部武氏はつり人の創刊以来の執筆者で、数々の渓流伝説を生んだ、生粋の渓流マン。第二次世界大戦後から渓流釣りをしていたという数少ない、東北の渓流の匠翁である。「東北の翁」と呼べるのは、今も東北においては阿部氏だろう。東北の渓流を目指す釣り人で阿部氏を知らない人はいないだろう、それくらい有名だ。また阿部氏を知らない?阿部氏の本を知らない潜り釣り師は、是非、期待して読んで欲しい一冊だ。遺稿が掲載されているが、けっして文字も旨くなく、誤字が多い上、文才は…?。つまり何が言いたいのか、よくわからない文章が多い。起承転結の無いだらだらした文章だから、編集者は大変だろう。しかし、この、だらだらした文章を繰り返し繰り返し読んでいると、阿部氏の渓流釣りに対する「思想」の様なのも見えてくるから不思議だ。東北の温泉と渓流はガイド本と書いたが、この本は大半は、【渓流魚の釣り方】で占められている。この部分が、とても重要で、故人である阿部氏のこの絶版本が、今尚人気のある所以である。阿部氏の独特の分筆がたまらないという人も多く、故人としては後世の人のファンも多い。ガイドの方は、詳細な釣行記でもなく、比較的単調な内容で、省略された案内文章だ。主な釣り場のみ掲載、筆者の主観で書かれた内容が多い。所謂「つり日記」に似ていて本にする為に取材して書いたような内容ではない。
■阿部武・遺稿文
『峠の宇三郎』
待ち合わせ時間には間違いなく荒川の越し場に来ていたもんだ。と宇三郎の勢子をしていた男達がいう。
深雪の吾妻連峰に数千羽のウサギを生活の資にしていた。土湯峠の宇三郎は猟の名手である。イワナ釣り師とでも宇三郎に見られる穏やかな、静かさは性格から来ていると思われたが、あとから知遇を得た磐梯吾妻の名人、酢川野の太夫も南会津の浦島もいかにも物静かな山男である。山がそのような人柄を作るのだろう。遭難者を探られて宇三郎と名山を歩いたことがある。樹の枝を杖に、断崖の幕滝まで彼がグリセードで下ったのには驚いた。板鉛は板ように平らに付けるのが秘訣だとも彼は言った。餌を早くイワナに知らせるのであるが、筆者は板鉛を持たなくて石を結ぶことが時折ある。結び易い細長い石を使って、魚の出がえらく早く思えたことが暫々ある。この石をポケットに所持して、よく使ったことがある。こつこつという音がイワナを呼ぶのかと思っている。野地・鷲倉温泉に泊まっても、奥の幕川温泉に泊まっても、その頃土湯峠の宇三郎宅によって話した。この間のことのように思えて十数年は過ぎている。