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山岳森林鉄道と渓流釣り2

山岳森林鉄道と渓流釣り2 1

山岳森林鉄道と渓流釣り



森林鉄道は山から切り出した木材を運搬する為に考案された運送方法のひとつだが、渓流釣りに行くとその痕跡が至所に残る渓流もある。江戸時代の伐採は主に城や城下の家屋などの建築木材として使われた。戦後の復興に伐採した木材が全国的に使われたが、伐採林業の全盛期に活躍した森林鉄道も国有林(旧帝室林野局管理)の地域を通っている事が多くその需要も、時代の変化と共に減少し、運搬方法も森林鉄道から自動車の発展=(林道)と共に次第に姿を消していった。現在、屋久島の安房森林鉄道が唯一現役だが、その他の路線は全て廃線となっていて、道路等に代わりその痕跡すら残してない地域もある。例外として京都北部の由良川水系には芦生原生林があり、所謂学術的な立場から保護と研究が行われている山域がある。演習林または研究林の名において、様々な試みがあるが、一部由良川沿いに森林鉄道(森林軌道)が現存する。この芦生の山域も京都に近かった為、神社仏閣や朝廷、貴族の家屋建築木材等に使われた歴史がある。人は何時の時代も山々の自然木を利用して来た。その運搬方法には森林鉄道の他に川をルートにし筏や船舶での運送をしていた地域もある。この由良川も当時の日本の都、京都には筏流で搬送したいた地域だった。時代背景にとその地域により異なるがこういった林業で生計を立てていた人達も少なくない。所謂林業関係者だが、そこには様々な利権や歴史的背景が有り森林鉄道と密接な関係を造成している。我々の様な余暇で渓流釣りを楽しむ目的とした「つり人」が山に入るのは後世の事になる。一部の地域では森林鉄道開発以前から、既に木地師や炭焼小屋運営などで山に居住していた先駆者達もいた。杣人達の中には時代に好悪なくその生食を自然の中に求めていた。また東北のマタギに見られる様な集団も出現し全国にその痕跡を印している。森林鉄道はその様な山域に関わる地域に散在しているので私的にはその歴史文化と共に興味津々である。私の場合特に関東地区から渓流釣りを始めたので、通っていた渓のある関東近郊の森林鉄道に愛着がある。秩父の入川(いりかわ)森林鉄道跡、西丹沢の世附(ゆづく)森林鉄道跡や木曽谷の赤沢森林鉄道などが印象的だった。入川や世附は今でも痕跡があり、赤沢は特に観光地化したが、シーズン中以外も秋〜春先に軌道敷跡を歩くと静かな山旅を満喫出来た。演習林なるものを初めて知ったのも、秩父の渓流・大血川支流の東谷にある東大演習林で、入口にゲートが有り、当時中学生だった私には立ち入りしてはいけない特別な場所に思えた。この大血川には森林鉄道はなかった。

翠月







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